まつれづれぐさ

雨の日には傘を、晴れた日にはスニーカーを。そんな言葉を紡ぐことができる人に

母さん日和

AM09:05
きっと、昨日のお酒がまだ残っていたのかもしれない。


人生の岐路に立っている僕は、
思いがけず母さんの声が聞きたくなった。


「・・・」


「・・・ん?どうかされましたか?」


少し緊張しながら電話した僕の心を、

簡単にいなしていく巧妙な出だし。




「母はこう思うのだけど、どう思われますか?」



依然として続く、よくわからない敬語。
そして謎の一人称、”母”


親子の会話ってこんなにぎこちないものだろうか。


それでも時間が経つうちに、
いっぱしの親子がするような口調で会話は円滑に進んでいくから、
僕たちは”親子”ということで間違いなさそうだ。




母さんが語る息子像は、
今僕自身が思う自分像と少しギャップがあった。


僕が自分の話をしなさすぎて、
高校生あたりで止まっているのかもしれない。


それでも、


「・・・図星です。」


なんて思わざるを得ない指摘をしてくるのは、
”さすが、母親、息子のことをよく分かってらっしゃる”
などと思う。






なんとなく、敬遠していた。


親に自分の将来の夢や人生について相談することを。
自分の素直な思いを伝えることを。


決断は大体、事後報告で
有無を言わせる余地なんて与えやしなかった。


今になって気づく。

真面目で頑固一徹な母さんの事を、
僕はきっと勘違いしていた。






なあ、母さん。


俺の意志を否定しないように、相当気を遣って言葉を選んでいたよね。


ありがとう。




でもさ、


自分の発言に責任なんてもたなくていいよ。


応援してくれていることは知っているから。

言葉や行動の端々に、
いかに俺の事を大切に思ってくれているかも知っているから。




ごめん。


俺は母さんのアドバイス通りにしないかもしれない。


でも、それは決してあなたを無下にしたというわけではないよ。

どんな決断をするにせよ、
あなたの思い無しではきっと決められないことだったと思うから。






電話を切った後、通話履歴を見て思わず笑う。



45分17秒。



こんなにも長い時間、僕たち”親子”はちゃんと話せていただろか。



たぶん、、、大丈夫、、、だよね?






ふと窓から見た空は、
僕には、いつもより高く、そして青く見えた。