僕らがスラムに行くときは ~キベラとマザレム~
“キベラはマサイマラのような国立公園ではないわ”
キベラに住む人たちにとって自分たちの生活圏に訪れる旅行客がどのように見えているか。
この言葉が物語っている。
'We are not wildlife': Kibera residents slam poverty tourism
でも、そんな観光客を利用することで自らの生計を立てる住人たちもいる。
皮肉な話だ。
“好奇心を満たすためだけにに利用しないでほしい”
“生活をさらす。私たちになんのメリットがあるの、なにが私たちのためになるの”
“悪い部分だけ切り取って拡散される。それだけだ。それはフェアじゃない。真実じゃない”
“ここは俺らの場所なんだ。出てけ、見せ物じゃない”
“なんでお前たちはここに来るんだ?”
インド、フィリピン、ケニア。
これらは、僕がこれまでに訪れたいわゆるスラムと呼ばれる場所や貧困の地域で、住人たちに言われた言葉たちだ。
こんにちは、Waithakaです。
みなさん、いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます!!
今週、僕は2つのアフリカ最大級のスラムにお邪魔してきました。
ブログ第18弾の今回は、スラム訪問とその他諸々です、(笑)
さあ、まずは世界最大級のスラム、キベラ。知っている人も多いでしょう。
現地の活動家に案内してもらいました。
ちなみにキベラに入る際は、治安面を考慮してガードマンをつけることがマスト。
高台からみたキベラスラム。なんという大きさ。
これらは現地の活動家たちがキベラで集めた空き瓶でできた家の壁。
レンガが高いから、代用したとのことだった。
綺麗だ。
訪問客は紙にそれぞれの願いを書き、ビンの中に入れていく。
例にならって、「世界平和」って書いて一番大きいビール瓶に入れといた。
ゴミ捨て場。
エネルギーに変えることができれば、と思わずにはいられない。
この線路も現役。
ウガンダまで行ける列車が走ってる。
江ノ電よりもすれすれなんじゃないか。
小学校、たしか私立。
続いては同じくナイロビにある、マザレムというスラム街。
こちらも現地の活動家が案内してくれた。
彼らや住民たちに許可を取りながら写真を撮らせてもらったのだけど、数はだいぶ少ない。
やはり、観光客による写真撮影はグレーゾーンだ。
こっちも大きい。
特別に家の中に入らせてもらえた。
テレビやオーディオもあって、電気も通ってた。
ちなみにこの家は5世帯がくらい一緒に暮らしていた。
月並みの感想だけど、どちらのスラムも本当に大きかった。
そしてそこに所狭しと家々が立ち並び、まるで大迷宮。
現地の人も正確な人数は把握できていない。
それでも住民たちは全員、国民として国に登録されているらしい。
良かった。
インドなんかだと、出生届が出されず人身売買に回されるということも多々だから。
これまでに色々な国の“貧困に瀕している地域”に行かせてもらった。
そしてそこに住む人々の生活に触れてきた。
その都度考えることがある。
彼らにとって僕はどのように見えているのだろうか。
僕らはなんで“そこ”に行きたがるのか。
好奇心?探求心?それとも使命感?
それは人それぞれだろうね。
少なくとも必要なものは敬意と感謝。
彼らに悲哀の眼を向ける、かわいそうとかってのもなんか違うんじゃないかな。
俺が住民だったら、何しにきたんだよって絶対思う。
そこで写真撮影されてって、ああなんかうぜえ。
俺はそう思う。
“貧困博物館”
違うよな。
貧困の地域を訪れて抱く感想もそれぞれ。
「やっぱりひどかった」
「想像以上だった」
「思ったよりだったな」
「幸せそうに見えたな」
「みんな笑顔だった」
とか。
どれも大切な感想だと思う。
でも、もう一歩深く考えてみるべきなんじゃないかな。
どこがどう想像よりひどかったのか、何が原因で想像を下回ったのか。
彼らは本当に幸せなのか、笑顔の裏にあるストーリーは?
とかさ。
そしたらもっと彼らについて理解することができるんじゃないかな。
感想の表層だけにとらわれないでさ。
ちょっと話がずれちゃうけど、この2つを見たら良いかもしれない。
きっと。
The danger of a sigle story | Chimamanda Ngozi Adchie
あーそういえば、キテンゲスーツできた。
取り立てにでも行くか。