拝啓、すべての市民と先生と先生のひよこへ ~自戒を込めて記す傲慢~
みなさん、こんにちは、りょうやです。
ご存知の通り、ケニアに来てメイト(ギャング)の就労支援をしている僕ですが、今回はそれと全く関係の無いことを書こうと思います。
別に、ネタ切れなわけじゃないよ、(笑)
まだ、8稿目よ、だって。
なわけ、(笑)
Anyway知っている方もいるかもしれませんが、僕は教育学部の教員養成課程で学ぶ、まさに“純金の教師のひよこ”です。
だから、教育とか学校とかっていうワードには比較的敏感で、色々と見聞き考えたりする。
最近では初等教育への外国語必修化やいじめ認定が話題になり、他にもICT教育やオルタナティブ教育など。
教育という話題は常に、社会の関心事なわけで。
世間のみなさん同様、僕も強い関心を寄せる1人。
それに先週、ケニアの小学校に訪問してきて、そこで思ったこともあった。
今回はそれをブログに書こうかなと。
ケニアの小学校に関しては、次回書こう。
初めに書いておくけど、今回僕がここに書き記す“傲慢”は自戒だ。
僕はみなさんに聞いてみたい。
今まで出会った先生の中で
「自分の子どももこの先生の元で学んでほしい」
と思える先生はいますか。いるのなら何人ですか。
現在、教師になるために勉強している同志たちに聞きたい。
「あなたがともに学んでいる教師のひよこの中に、あなたの子どもを任せたいと思える人は何人いますか」
仲が良いからとかなんて理由はもってのほかだよ。
今、自分の子どもがいない人は想像でかまいません。
目に入れても痛くない、大切で愛しくてかけがえのない存在。
そんな自分の子どもが、教えを受けることになる先生。
任せたいと思える人はいましたか。
たくさんいることを祈る。
どんな先生に自分の子どもを任せたいですか。
聞いているばかりだな。
じゃあ、僕はどんな先生になら自分の子どもを任せたいと思うか。
教育に対し明確な考えを持ち、自分が目指すべき確固たるビジョンがある先生。
教育とはなんなのか、どんな先生になりたいのか、子どもたちにどうなってほしいのか、そのために自分はどう動くべきなのか、
それらに対する自分の答えを持っている人。
人格者である先生。
1人の人間として尊敬できる、素晴らしい人ということ。
例えばそれはすごく大袈裟なことではなく、悪口や陰口を言わないなんてことから始まる。
児童、生徒の将来を考えたうえで接し、彼らのために1つ1つの選択ができる先生。
彼らのことを親身に考えたうえで日々の言動や態度・姿勢に気を遣える人。
器が大きく、辛抱強く、そして導いてくれる人。
しかるべき時に、しかるべき方法で、叱ることのできる人。
具体例は枚挙に暇がない。
引き出しの多い先生。
教師に関係すること以外の経験が豊富で、色んな話題を持つ人。
広く多くの分野に関心を持つ、または持とうという姿勢の人。
社会に対してしっかりとアンテナを張っていて、情報収集を怠らない人。
こんな先生に僕は自分の子どもをお願いしたい。
こんな理想の先生像、夢見過ぎか。
僕はそう思わない。
絶対いる、たくさんいる。
もちろん、そんな先生のひよこもたくさんいるはずだ。
ただ、そんな先生たちがその実力や姿勢を発揮するには、現在の日本の教育現場の状況ではちょっと忙し過ぎる。
肩身が狭すぎる。
そして、外野がうるさすぎる。
監督同様、教師に必要なものも“耳栓”なのかもね、ファーガソン。
“教育”という分野になると、我がもの顔で持論を展開する輩が世間には多すぎる。
政治家も芸能人も一般の方たちも。
そんな「エセ教育評論家」に問いたい。
「その主張の根拠はと」
“私の経験上~”なんて言葉を使ったら、聞くのは話半分でいいだろう。
大事なのは、客観的な根拠だ。
僕はそう思う。
経験を無碍にしろという意味ではない。
経験は、データとともに普遍的なものに落とし込み、客観的な根拠にすれば良いと思う。
とはいえ、教育はみずものだ。
なぜ、先生になったのか、なりたいのか。
「教えることが好きだから!!」
みたいな自分目線の理由だったら別に、学校の先生になる必要はないと思う。
むしろ、そんなちんけな理由でなるなと。
学校は、子どもたちは、あなたがエクスタシーを感じるためのものではないのだよと。
もう一度。
今回、僕がここに書き記した“傲慢”は自戒だ。
エセ教育評論家による今の自分、そして将来の自分に対しての。
僕は将来、
「教員養成」と「教員環境の整備」をやりたい。
素晴らしい先生を育てて、そんな先生方が自分の実力を子どもたちのために十分に発揮できるような環境を用意したい。
国内、国外関わらず。
もちろん、小学校の先生もやりたい!!
自分が担任になったら、教室の掲示物をこんな感じにして、多種多様な分野で活躍する人物を教室に招いて、こんな授業をして、、、と挙げたらワクワクがとまらない。
っと。
今回もひどく好き放題書いたもんだ。
(笑)
まあ、あとから見返して、「若いな、(笑)」って思うのも悪くない。
少なくとも、21歳でケニアにいた頃の自分はこう思っていたよと。
こう言葉にしてみると、「この部分もっと考えなきゃな」とか「勉強たりんな」とかって分かるから良いな。
ふう。
つかれた。
さあ、今から片道6キロを歩いて、NGO訪問だ。
昨日は閉まってたから、リベンジ。
開いてろよ。
たのむ。